”歴史”を紡ぐ旅をしよう

小さな田舎町で育った20代若者の戯言日記

Vol.142 【人目を気にした文章】

ここ数日、多くの人に読まれていることを気にして

文章を綴っていた自分がいたことに気づいた

 

そのことに気づいた自分で過去のBlogを読み返していると

そこに自分の意志が感じられなかった

 

まるで

自分じゃない人が書いたもののように感じられた。

正直、気持ち悪ささえ覚えた

 

そんな文章じゃ、

世界中どころか日本中、ましてや目の前の大切な人々の心にさえ響かない

 

そう思った。

 

だから決めた

 

「まっすぐ自分の心の意思を表現していく」

 

”人目を気にした文章”

 

そんなメッセージを発信するために

あなた今まで生きてきたわけじゃないでしょうが。

 

そもそも

なんで人目を気にした文章を書いていたのか

(これが決して「×」なわけではないです。良いも悪いもないから)

文章だけではなく、すべての現実において共通していると思う 

 

それは

外の刺激にすぐ揺らいでしまうような軸だったこと

 

つまり、IDが定まっていなかった

曖昧なアイデンティティをセッティングしていたことが

一番の原因だと悟った。

 

そのことに気づいた今日の一コマが次のこと

職場で、チームリーダーに

「てるてる忘年会参加しないの?」と声をかけられた

自分の中では出費を抑えたいし、正直、大勢で集まるのは好きじゃないから

いかないと決めていた。

でも、チームリーダーに行けないの~?予定あるの?って冗談交じりに聞かれて、

正直、理由に躊躇している自分がいた。

 

結局、リーダーがそこまでいうのならと、気持ちが揺らいでいた

誘われて、嬉しさを覚えている自分もいた

 

なんだかスッキリしないまま帰路についた 

 

電車に揺られながら内観をしていたときに気づいた(^-^;

自分の中の目的意思があいまい

何のためになぜ出会うのか、生きるのか

という本質的な問いに対する答え

自身の中の設計図、どんな自分になってどんな相手のどんな関係性を構築していきたいのかというイメージがあいまいだったんだ

 

《主体性、独自性、自営性の欠如》

 

自分自身の中心軸が定まっていない

 

だから、外からの刺激で簡単に意志が揺らぐ

自分自身の意思決定に自信が持てない

 

今回の、忘年会の不参加理由は取ってつけたような言い訳でしかなく

そこに自分の主体性はなかったことに気づきました。

 

自分自身の根っこの意思と分離していた。

いうなれば、浮足立った状態。

 

自分の中心軸が定まっていないのに、夢や意志を語るなんて

元も子もない話だ

 

それこそ、ただのビックマウスでしかないよな

 

Blogでは表現できて、肝心の人前で自分の意思とは裏腹な表現や出会いをしていたのは

中心軸を明確に定められていなかったからだった。

 

すべて、この現実を創っているのは他でもない自分自身であることを

改めて実感した一日だった

今ここ、目の前の現実に対しての意味付け価値つけをするのは自分自身

 

だから、その認識する主体を明確に定めることが最重要だな。

そうでないと、外の刺激に対して揺さぶられっぱなしだよ

 

すべてのことに責任をもつ基準点に生きる決断。

 

ゆっくり考えてて、

今回の忘年会に対する意味付けをし直したとき

いかない選択肢はなくなった (*^^)

自分の意志と繋がった時に、こういうたくさんの人が集まる場所は

人生経験の中でも貴重なものだと悟った

どんな場所にするかもすべて自分次第。

 

楽しみます(*^^)

本当は生きたい気持ちも少なからずあったんだな(笑)

 

P.S.

 

「自分が出勤するときは毎日職場にいてほしいな」

これも中心軸がない自分が言ってたことだった

 

どんな条件や状況によっても変わらない軸に

生きることができるようになって初めて

 

人と出会う準備が整ったといえると考えている( ^^)

 

その自分で安定的に生活できるようになってから

次のステップにいける気がする(*^^)v

 

みなさん

今日も読んでくださってありがとうございました

 

おやすみなさい( *´艸`)